塩竈にて

塩竈に先日行ってきました。
塩竈に行くのは震災前と震災後と
今回で3回目だと思います。
港があって神社があって、
特になにがあるというわけじゃありませんけど
気に入っている場所の1つです。

特に鹽竈神社はわたしのお気に入りの場所です。
高くて急な階段も
志波彦神社から見える海の景色も大好きな場所です。

震災前駅近くにあったお世話になったスズキさんというお魚屋さんが
震災後復興仮設の商店街に入っておられたのですが
その後仮設商店街がなくなってしまったので
どこにいかれたのか分かりませんでした。

帰宅してから福島南三陸町のさんさん商店街の仮設商店街が
常設になったというニュースを見ました。
行政のほうも土地を借り上げて仮設商店街を時限的にやっているので、
一概には言えませんし、塩竈にも湾の向かい側になるところ東塩竈に魚市場とお店があるので、
そこに一元化したほうがいいといえばそうなのかもしれません。
ただなんとなく、取り残される人がいるんだよなあっていうのが印象です。

日本はいろんなところに被災地があって、
去年は熊本でしたし、
復興というのは、思惑がいろいろと複雑に絡んでいて
なかなか前に進まないものなんでしょうけどね。
塩竈は津波の被害がありましたが、ものすごく破壊されつくしたというわけではないのですが、
古い建物や本塩釜の駅前の建物などにまだ傷跡が残ってはいました。
山田町を見たときはほとんど町が破壊されつくしてましたから、そういう意味では被害的には少ないほうということかもしれませんが、
重大な被害が少ないからといってないわけじゃないので。

今回ちょっとしたことですけど、塩竈にスイーツっていう新しい風が吹き始めてることにちょっと
うれしくなりましたね。
町が若い人の手で少しでも前に進み始めたって感じです。


Img_1243

また行きたいですね

盛岡から秋田へ

シルバーウィークに縁あって
秋田の乳頭温泉郷に行けることになって出かけてきました。
連休とか人が多いので出かけたりあまりしたことがないので
ちょっと連休の人ごみをなめていました。

行きの新幹線は自由席しか取れなかったので
いくつか待てば乗れるだろうぐらいに考えておりましたら
新幹線の改札からホームに入るのも一苦労。
まあ、座れたのでよしとするか。

初日は盛岡でレンタカーを借りて八幡平へ。
盛岡あたりで宿泊しようと思ってたら、なにやら人気アイドルグループが
利府でコンサートをするらしく、東北の大きな都市のビジネスホテルは満杯。
八幡平のペンションに宿泊。

次の日は八幡平のトレイルをいくつか歩き、
乳頭温泉に。

乳頭温泉は秘境と言われている温泉で、
なかなか予約が取れないというお宿に
泊ることができました。貴重な体験をさせてもらえました。

昔からの温泉場で、湯治のための施設だったと聞いています。
だからお部屋は4畳半ぐらい。
テレビも冷蔵庫もありません。
しかも、山奥なので携帯電話も通じません。
そこに3泊しました。
お料理も山のもの、川魚など。
とてもおいしかったです。
なによりも、控えめでそれでいて郷土愛にあふれているお宿のひとたち
ありがとうございました。

写真はここ

塩竈

2009年に塩竈に行ったのは偶然からでした。
仙台駅で見たパンフレットで浦霞の酒造蔵の写真が気に入り
そこを見てみたいと思って行ったのでした。

古い街並みと鹽竈神社、静寂さと清澄さを感じる場所で
とても好きな町になりました。

2年後に震災があり、塩竈も被災したようでしたが
なかなか行くこともできずにいました。

今回機会があったので訪ねました。

鹽竈神社の周りは変わりないように見えました。
ただ、町の中のあちこちに震災津波の跡が見えました。
お世話になったお魚屋さんのお店も津波に流されたようでありませんでした。
あとは更地になっていました。
そのお魚屋さんに紹介してもらったお寿司屋さんも
なくなっていました。
その場所には居酒屋さんが。
(ひょっとしたらお寿司屋さんをやめて居酒屋さんになったのかもしれませんけど。)
お寿司屋さんもなくなっていたので、ちょっと呆然としてしまいましたが、
それでも東北の中で塩竈は被害の少ないところと言われています。
冬に行った宮古や山田町は多くの場所が更地になったままでしたし。(土台だけが残してありました)
それに比べれば少ない被害ということになるんでしょうけど、
当然そこにいるだろうと思っていたので、ちょっと打ちのめされる感がありました。
Siogama


田老にて

今回の旅行で
田老に行ってきました。
万里の長城と異名をとる10メートル高の防潮堤がある場所です。
ここ150年で津波の被害を3度も受けているため
この防潮堤ができたとききました。
第一防潮堤と呼ばれる一番町に近いところが全長1,350メートルもあります。
これは町の海側をガードするように建てられています。
これを建設するとき、この外に人家は建てないようにと
この地域の人は誓ったそうです。
でも、時間が経つにつれて、海のそばに漁師さんたちが作業小屋を造り
そのそばで暮すようにもなったので、
あと2つの防潮堤が建設されたということだそうです。20130212_082912


写真がぼけてて申し訳ないですが、この図の赤いラインが第一防潮堤です。

でも、今回行ってみて、
不思議に思ったのが、
最初の防潮堤はよく考えられていて、
町を守るために作られているのですが、
残りの2つはなんだか違う考え方で作られた気がします。
わたしは津波の専門家でもなんでもないし
潮流のこともわかりませんが、
第一防潮堤が海に対して「つ」字型になって、波の襲来をかわす目的にかなっているように見えるのですが、
あと2つが加わって「く」字型になって、波を受ける形になってしまっています。
つまり湾内に流れ込んだ津波エネルギーを町の方に誘導してしまっているのではないかと思えてしかたないのです。

たろう観光ホテルという場所が
つなみの被害をうけながらもまだ立っています。
ここで観光協会の人のお話とDVDを拝見しました。
このホテルのオーナーがホテル6階から撮影されたものです。
そのDVDには津波の第一波が入ったところからが詳細に撮られていましたが、
まず湾内に入った津波は写真の黄色で示してある第三防潮堤の橋にある水門方向へ行き
その防潮堤と水門に跳ね返された波がちょうど第一と第二(青いラインで示してある)のつなぎ目あたりへ押し戻され、湾内に入ってきた第2波とぶつかり合ってそこから町の方へ津波が侵入しました。
ちょうど津波の力が増幅するような配置になってしまったということです。

また観光協会の人の話では、この3つの防潮堤は第一と第三が建設省で
第二防潮堤は水産庁の所管だそうです。
おそらくは予算の都合でしょうが、第二防潮堤は「高潮対策」として建てられたがために
堤防自体がほかの2つに比べて軟弱な作りになっていました。
地元の人も詳しくは知らなかったそうで、破壊されてみて、(第二防潮堤は完全に破壊されていました)
防潮堤の外皮だけがコンクリートで、あとは土が入っていたことに気づいたそうです。Img_0277web
写真は第二防潮堤の残骸です。真ん中右の方を見ると外皮がはがれた金つばのような形になっています。

津波のエネルギーの大きさを考えると、いくら防潮堤を高くするといっても限界があります。
津波を完全に跳ね返すような防潮堤はないと思います。
力学的に津波の持つエネルギーを分散させ、甚大な被害にならないように、
町ではなく人の住んでいない方向にその力を誘導する方法など
専門家のみなさんには検討していただきたいと思った次第でした。

ここでは120名以上の方が亡くなるか、いまだ行方が確認されていないそうです。
遺族の方や、行方を捜しておられる方のお気持ちを考えるととてもつらいのですが、
ご冥福をお祈りします。
行方の分からない方がはやく家族のもとに還れますように。
一刻も早く町が復興できますように。

Anita

台風が通り過ぎて
今日もいい天気。
今日は空気もひんやりして昨日より過ごしやすそう。

テレビで台風が来るというのに出かけていて
「電車止まりすぎだ」って怒っていたお客さんがいた。

ふと、昔電車(その当時はディーゼルだったかもしれないけど)に乗っていて
台風に遭遇して
電車に缶詰になったことがあった。

あれは本当に昔
1970年の大阪万博のときだからもうかれこれ40年以上前。
夏休みに家族そろってその万博に向かっていたとき。
長い休みがとれたらしく父が張り切って九州からまず四国へフェリーで渡り
それから大阪、京都などを周遊するコースを企画して
手配を済ませてその日を家族で楽しみにしていた。

その日、多分1970年8月21日だったと思う。(これは台風の進路から検索した)
父は台風がもう少しそれると考えていたのか、台風が近づいているのにもかかわらず予定通り出発。
しかもうちのあたりは九州山地がじゃまをしていい天気だったような気がする。

四国にわたるためのフェリー乗り場(多分別府)に着くと、なんと、欠航の文字が。
今のようにスマホでちょっと検索してという時代じゃないし、
電話しても、出るのか出ないのか直前にならないと分からない時代。

そこで、うちの家族の選択。
このままあきらめてうちに帰るか。
せっかく手に入れた万博チケットを生かすために大阪に直接行くか。

うちが選んだのは後者。
日豊本線で北九州(小倉)に出て、それから大阪を目指そうということになった。
それで、とりあえず小倉行きの電車に乗り
進み始めたのはよかったのだけど。

台風の進路は四国の高知の西に上陸して
そのまま豊後水道を進み中国地方を抜けて日本海へ
ということはほとんど台風と同じ方向へ進んだことになる。

電車は最初からいつ止まるかという速度で
しかも風が呼吸するようにどーんと吹いてきたかと思うと
吸うようにぐーっと引っ張られる。
なんども転覆するかとおもうほど
明らかに車輪が浮いたなという感覚が子どものわたしにも伝わった。
そのたびに体に自然と力が入る。
車内に「おおっ」って声がする。
浮き始めたかと思うと速度を緩めて
なにやらうまい漕ぎ手のボートに乗ってはいるけれど
嵐の中の小舟のように風に嬲られているよう。

そのうちどこかの駅で止まった。

灯りも見えず、山間の多分無人駅。
そのままわたしは眠ってしまった。

翌朝、目が覚めると、まだそこに電車は止まったまま。

大分の山の中の小さな駅。

駅の前にはよろずやのような小さな店が1軒だけ。
当然何百人か乗っている(ほとんど満席だった)特急列車。
菓子パンのようなものは瞬く間に消えたらしい。
父が食べるものを探しに行ってくれたけど、入手できず。
何時間そこにとどまっていたのだろう。
ただ、ただ、動き出すのを待つしかない。
わたしのように小さい子も乗っていたけど
とくに騒ぎ出すようなこともなく、ひたすら待っていた。


田舎はネットワークがすごいと思ったのは
なんと農協婦人会の人たちが
炊き出ししてくれて、みんなにおにぎりと沢庵1個が配られた。
何の変哲もない塩むすびで
でも、あんなにうまかったと思ったことがない気がした。
お腹がすいていたんだろうな。

てなわけで、それから北九州に回り、倉敷かどこかでもう1泊して
大阪についたのは8月23日だったかと。

風の強い台風なんかのとき
電車ってすぐ転覆するんですよ。
だから風の強い台風のときは
安全のために電車は止まるし
わたしは止めて当たり前だと思う。

台風のときに
出歩くのも一歩間違えれば死につながるし
うちの家族のように「せっかくの休みだから」ってことで
突き進めば遭難しかねないということ。

その後、いろいろ台風にでっくわしたけど
やっぱり自然の前には人なんて全然無力だし
台風なんて予想がつきやすいんだから
そういう日はおとなしく家にいて外出しないようにしたほうが
いいと思う。

ああ、Anitaはそのときの台風のアジア名。

Kaua'i島で

今回、カウアイ島に行って気づいたこと。
スーパーのレジ袋がなかったことです。
調べたら、マウイ島とカウアイ島は去年の1月から
レジのビニール袋が禁止になり
今は紙袋などになっています。

オアフ島も近々禁止になる予定らしいです。

ハワイ諸島には毎年出かけていますが
いつもはABCやら、スーパーでいやというほどビニール袋を入手できたので
今回も水もの入れたり、洗濯物をいれたりするのに使おうと
思っていたのが
全部紙袋になっていてちょっと驚きました。罰金もあるらしいです。

きっとやると決まったら、意外とすぱっと切りかえがきくんですねえ。
ハワイの人すごいです。

日本でエコバッグはやったのは、いつだったでしょうか。
最近はマイバッグ持参の方も少なくなった気がします。(バイト先の感覚ですが)
それに、マイバッグ持参でも、一回ビニールに入れてそれをマイバッグにって方結構います。
それはもうエコじゃありませんけどね。
どこかのブランドのエコバッグやら、えらい値段で売ってましたけど
日本ってそういうのあんまり定着しないんですね。
これでビニール袋有料化やら、
紙袋への移行って多分無理な気がします。

いっそ、このビニールから再生エネルギーでも探しますかね。(あくまで冗談ですが)

外国で日本のドラマを見ると

ハワイなどでは日本のドラマを見たりすることができます。
ホテルなどでは、ケーブルテレビでほとんどオンタイムに近い情報番組なども見ることができたりもします。
まあ、ときに「KIKUテレビ」なんていう、
今日本でやっていない「そこが知りたい」なんていう20年以上前の番組もあったりしますが。
これはこれで、まあ昔の日本を知る(そんな必要はないのですが)のには役立つかも。
これはどこか家庭用のテレビを録画しているらしく、20年以上前の事件の速報テロップがそのまま流れたりもします。それはそれですごい面白いのですが、それってどうなのって思うこともあります。

同じ番組、たとえばNHKの大河ドラマなんかも
ハワイで見ることができるんですけど
印象が違うんです。
それはわたしの問題なのかもしれないんですけど
なんか印象が違うんです。
なんとなく、みすぼらしいっていうか
よくないんです。
それまでよく見ていて
日本ではそれなりに面白かったはずなのに
面白くないんです。

ここ数年、どうしてかなあって思っていました。
それでこの1年ぐらい、自分もケーブルテレビにして外国のテレビドラマなんかを見るようになって
思いました。

日本のドラマはあんまり脚本が練れてないんだって。
役者の演技力もそうかもしれませんが、
本がよくない気がします。

ハワイから帰るたびに、どんどん日本のドラマは見なくなってしまいました。

うちの相方には、
うちにいるときと海外にいるときと見てる番組は一緒ね
って言われています。

すいません、日本の脚本家の方、テレビドラマ制作の方、わたしをうならせるドラマお願いします。


kaua'i

ハワイ諸島というのは、いくつかの島で成り立っていますが
今回はカウアイ島に行ってきました。
フラキャンプも含めてカウアイ島に9日間、オアフ島に3日おりました。
しまぞれぞれに特色があるのですが
カウアイ島はやさしい感じがしました。
ハワイ諸島の中でも少し湿度があるのと
雨が多いので、水が豊富。
すごく水を感じる島でした。
そこに住んでいる人も少し違う気がします。
写真撮ってきました(Facebookの写真と同じです)

人によるとカウアイは女性的と称される島。
ハワイ諸島で訪れるのは4島めですが。それぞれに特色があって面白いです。
写真にコメントはまだ入れていませんが、おいおい入れていくつもりです。

オアフ島に行っておりました

今回は所属するハラウが
ワールドインビテーショナルフラフェスティバルへ参加したので
その応援に行ってきたという次第です。
なので、あまりあちこち行っていませんが、
なんといっても


APECがホノルルでやっている


という状況の中だったので、
ちょっとした移動にめちゃくちゃ時間がかかるし、
行きたかった山にもいけませんでした。

残念です。

地元の人の話では、すごく

APEC迷惑!


だそうで。

交通規制や道路封鎖で休まなくちゃいけないお店とか
ホテルとかたくさん。ツアーもたくさん中止。オバマさんは自分の出身地を引き立てたいとおもったんでしょうけど、APECの経済効果が出るのはずっと先、これじゃ、それまで生きていけないって悲鳴を上げていました。
途中でコオリナの方に移るはずなのに、ワイキキはずっと交通規制。

バスもトロリーも車の運転手もずっといらいら。
私が乗っているトロリーが事故したり、(30分ぐらい降りれませんでしたし)
止まんなきゃいけないバスが、バス停をパスしたり(日本だと大変ですが)
勝手に行き先を変えたり。。。。そんなことはたくさん。

まあ、そんなこんなでしたが、ハラウはいいパフォーマンスをしてくれましたし、
楽しみは次に取っておくということで、今回は帰ってきました。

写真は今回少ないので
またおいおいアップしようかと。

オアフ島で最終日

オアフ島ホノルルは
今回乗り換えで1泊。
ブランド製品などは興味がないので、
友人にちょっとしたものなどを買い物。
そのあとは、ホテルでゆっくりしたあと、
ゆうぐれにホロホロ。
ホノルルは、ここから見る夕日が最近お気に入り。深呼吸。

オアフ
夕食はフードコートで持ち帰りを作ってもらって、ホテルで食事。

レストランは面倒くさいので、
持ち帰りは結構便利。どこでもたいていTo goしてくれる。

さて、明日は日本だ。

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