レジから見る世界

バイトでコンビニに勤めるようになってもう結構長くなります。
レジのところから世界を見る(世界って大げさですけど)と
なかなかこれが社会の縮図のようなもので、
いろいろなお客様がやってきます。
それこそ、今までコンビニになんか行ったことない人から、
毎日やってくる人、
退職して暇を持て余してる人から
近所のおばあさん、おじいさん、
学校帰りの中学生、高校生(ああ、最近は朝コンビニで昼ご飯を買う学生さんもいます)
近所のお巡りさんも買い物にきますし、
中にはたちの悪い方たちも来ます。


私たちは仕事ですから、
どんな方でもお客様ですから
そういう対応をしますが、
昔言われたような神様扱いは致しません。
今世の中は自分の欲望を満たすためには
どんなことをしてもいいんだと思う人も増えました。
反対意見や注意されたりすることを嫌うのか、
そういうことは無視されるようです。

でも、そういう人ほど人の行動が気になるのか、
列に並ばなかったりする人に怒鳴ったり、
自分が待たされることに過度に反応するようです。

まあつねづね、きっとコンビニのスタッフは人じゃなくて
奴隷かサンドバッグ扱いされてるし、
社会的な地位もなぜか低いので、
いろんな暴言や実現できない要求を聞くことになりますね。
コンビニの仕事は、販売や流通の仕事のすべてを要求されるし
やれるものなら、あなたやってみてくださいと思わないでもないですが、
そういう言葉をみんな飲み込んでいるんですわ。
Rain

あなたのお金の出し方で、あなたの考えや、あなたの性格、
価値観が分かると言ったら言い過ぎですが、
どんな人かだいたい分かるもんです。

ま、そういう観察もされてるっていうこと、考えてみてくださいね。お買い物のときはね。

年を取るということ

先日、母が88歳になりましたので、
米寿のお祝いを兼ねて食事会をしました。Image1_2
母には2人妹がいるのですが、
いずれも80歳を超していて
なかなか集まれないところを来ていただいて
大変良かったように思います。

昔話や写真を見せ合ったりしていました。
これから何度会えるか分かりませんが、
できるだけこういう時間が過ごせるのがいいのかもしれません。

母は今老人用のマンションに住んでいます。
食事の管理と服薬を見てもらえるので
すごく助かっています。

88とはいえ、歩くのには不便はなく、
朝からマンションの長い廊下を3往復するのが日課だそうです。
それからラジオ体操。
小学校の教員だったので、もうずーっとラジオ体操しています。
多分私よりも健脚ですね(笑)。

でも寄る年波は容赦がないものです。
今はちょっと自分でお金の管理ができなくなりました。
それで兄が一生懸命管理しているみたいです。
母はプライドも高く、結構自分ではしっかりしているつもりですから、
結構騙されたり、詐欺まがいの話にひっかかったりしているようです。
まあ、母のお金ですから、どう使おうとそれはいいんですけど、
世の中にはいろんな人がいて、そういう人をひっかける人が多くいるということです。

まあ悲しいことですが、あんまり社会的経験がないので、
教員だったので、騙されやすいんですよね。

管理の行き届いたところでも、
めちゃくちゃ怪しい人はさすがに入れませんが、
そういうひっかける人は普通の人の顔をしてますから、
上がりこんで世間話するところから入り込んでくるんですよね。

そんなに心配だったら、一緒に住めばいいっていう意見があるのは
理解できます。

でも、親子って結構いろいろ難しいんですよ。

本当に。


米寿

母の米寿の祝いがあったので
熊本にちょっと帰りました。

用事があって、通っていた小学校の近くを通りました。
工事が行われていたので、最近までは私たちが通った建物があったのかもしれませんが
すっかり新しいものに変わっていました。
そうですよね、私が卒業したのがもう40年以上前ですし、そのときも古い校舎がありましたから。
時間は容赦なく過ぎていくものですよね。

40年も経っているので、ところどころにはその当時のかけらを見ることができますが、
それはどんどんなくなっていくものですよね。

母が年を取ってだんたんといろんなものから疎遠になって行く気がすると呟いておりました。
年を取るということはそういうことなんだなと思いました。

まあ、今でもいろんなものから疎遠ではなりますけどね。(笑)


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帰りに寄った筥崎宮の新緑がきれいでした。

きょうは「あれから7年」の日

東北の震災からきょうで7年です。
朝から追悼番組が目白押しですね。

あの日、どうしていたか、
どうしても振り返りますね。
まだ避難生活を送っている人がたくさんいる事実。
現在もまだ進行中の原発事故。
普段の生活ではもう忘れちゃった人も多くいるでしょう。
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国はどんどんと避難地域を縮小して
帰宅を促していますが、
放射線量と病気の因果関係などはまだ証明されてない。
されていないからって、ないとは言えないし、
あるとも分からない。
帰りたくない人も多いかもしれない。

国はあくまでも「安全宣言」をして被災者たちをそこへ返して
もうこの震災と震災に引き続いた原発事故をなかったものにしたいか
小さな出来事にしたいようです。

でもまだ原発事故は進行中だし
中がどうなっているのか全然分からない。
ハイテクが役に立たなくて、
ローテクが役に立っているとNHKの水野さんが言ってた。
現代への皮肉かもしれない。
原発の処理方法が決まらないことには
本当は原発の輸出とか
原発の稼働再開とかしないほうがいいとは思うけど
そういうことに無関心というか、
そういうことに気が向かないというか
電気がないと産業がっていう理屈になんだか屈服したようで
個人的にはなんだかなあって思うんですよね。

うそや偽りがなんだか蔓延してて
力や権力におもねっていく構造が
どんどん日本を悪くしてるような気がしますが、
人の安全よりどっか違うほうに向いてる気がします。
そういうのに無感覚になってしまっていくわたしたちに
明るい未来が想像できるのかなって。

※写真は震災前に行った塩竃駅前で撮った写真です。


震災で深い心の傷を負われた方たちが
少しでも明るい気持ちになれますように。
津波のビデオを見ると、事後に訪れた私も何とも言えない気持ちになって
胸が苦しくなります。思い出すたびに涙が出ます。一種のトラウマ体験なのかもしれません。
実際に受けられた方たちの心のケアが進みますように。


鬼はどこにいる

きょうは立春ですね。
節分というのは季節が分かれる日なので、
きょうから「暦の上では」春ということですが、
明日からはまた低温の日々が続くそうです。
節分の行事も最近は「丸かぶり」とか
「豆まき」以外にもいろいろあるみたいですし
縁起のいい食べ物っていうのも結構あるみたいですが、
私が小さいころは豆まきだけだったような気がします。
おうちによっては柊に鰯の頭を刺したのを飾ってあるのを見かけた気も致します。

さて某日
豆まきで「福は内」だけを言うところがあるというのをテレビでやっていました。
鬼は各人の心の中にいるので、もしやるなら自分に向けて「オニは外」と言うべきだと。

確かに人の心にはいろいろ鬼がいそうです。
ネットやSNSで軽い気持ちで言った言葉に
その鬼が住んでいたりして、世の中に出て暴れちゃうみたいなこともあるやもしれません。

そうすると、鬼は言葉のどこかに住んでるかもしれませんね。

自分の言葉を発するときに、ちょっと一息考えてみないとだめですね。
鬼が本当に飛び出してきてないか。
SNSに書き込むときも、あわててそんなことがないかどうか、よく考えていかないといけないですね。

鬼が抑え込まれたところで
春がもう遠くないでしょう(希望ですが)


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これは去年の恵方巻です。
うちのバイト先はブラックではないので、恵方巻を買わされることはないんです。だから今年はバイトシフトに入ってませんでしたから、買ってないんです。

機械との相性って言葉があるけどさ

よくコンピュータとの相性の悪い人っていうじゃないですか。
その人が触ると電源が落ちちゃったり
フリーズしたり、
保存する途中で止まっちゃったり。

そういう人は
静電気を持っているとか、
電磁波の影響とか言われたりしてます。
たしかに、そういう電気的影響で止まっちゃリすることはあるかもしれません。

最近はオカルトみたいに
心理的状態が機械に影響するなんて言い出して
それを真面目に研究している人もいるらしいです。
まあ、そんな非科学的で証明もできないようなことは
どうでもよいのですが、

相性っていうのは、比較する2つのものが多分同じ種類、
例えば夫婦の相性とか、
上司との相性とか、
あるいは物同士
この機械とあの機械をつなぐとエラーが起きるといったときに多分使うのかなと思います。
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機械との相性が悪い人って、
基本的に機械を苦手にしているという意味と、
なぜだか(自分は悪くないのに)壊れるという意味が考えられます。

いろんな機械にはいろんな技術が集約されています。
さまざまな実用新案や特許の満載されたものと考えてよいと思います。
機械を設計するとき、耐用性のある部分と
ものすごくデリケートな部分とがあります。デリケートな部分は傷まないところに入れられていて、普通に使用するときにはあまり振動が伝わらないようにとか、
そういう作りになっていることが多いです。
耐用性があるといっても、がんがん乱暴に使えば壊れてしまいますし、
想定していないひねりとか、向きが反対であるとかでは簡単に壊れてしまうこともあると思います。
素材やテクスチャでそれを機械的には表しているんですが、
それを受け取れない人はやはりいるみたいで、そういう人はやはり「相性が悪い」のかもしれません。

そういう人に保守を頼んじゃったら、やっぱり気が気じゃないんですよね。

何もしてないのに、壊れました。

そういう言い訳もう聞きたくないです。


人を教える難しさ

コンビニの仕事も長くなってきたので
近頃は新人さんを教えるという立場になることもある。
1か月ほど前に入った新人さんの
特にコーヒーマシンの清掃方法を教えるということになって、
わたしとしてはかなり丁寧に教えたのだけれども、
いまだによくできない。
外さなくてよい部品まで外してしまって
メンテを呼ぶ羽目になったらしい(私はいなかったのだけれども)

次に一緒に組んだ日に
自分のことを評価してくれ、よくできているところを教えてくれと言われた。

よくできているところ、ないんだよね。

私としては、懇切丁寧に教えてもできないことのほうが多いと言うのにもかかわらず
「ほめて」と言う気持ちが全く分からない。
厳しいようだけど、評価するところがありません。
私は自分のことにも厳しく、できないところを改善点としているので、
他人も当然厳しい。
言い方には気をつけるけれども、どんな場合にもあまり褒めて、よいしょはしない。
できているところを言ってあげたいところだけど、1人で何もできないのに、
甘い言葉はかえって仕事の邪魔だと思ったら、そういう言葉もかけない。

コンビニって、レジやって、商品並べるだけと思ったら、ものすごくたくさんやることもあるし、
覚えなくちゃいけないこともある。
機械やオンラインでできることにも精通してないとなかなか分からんことも多い。
それをすべて理解してても、きょうやることには新しいことも出てくるかもしれない。
フライもの1つだって、中華まん作るのだって、天気や気温で予想して売れ残りがでないように工夫もしなくちゃいけない。
それは勘みたいなものも要求されるし、
裏打ちするような分析も必要だ。
陳列は工夫次第で売れたり売れなかったり、自分がどのようなストーリーを考えてこれを並べるのか、それも学ばなくちゃならない。言葉で教えられないものも多くある。
自分の頭で考えられないと、優先順位も付けられないし、
時間ばかりが過ぎて作業がはかどらないことだってある。
言われたことをやってればいいっていうような世界だと思われても困る。

甘いことばでよいしょするようなことは、結局はその人をだめにしていくということが理解できないようだったら、
仕事なんかしないほうがいいんだと思う。
そういうのは優しさではない。

そういうことが理解できないのが子どもでなくて、大人だということが難しさをさらに強めていく。


そういう人でもいてもらわないと、今はとても人材不足だから。

つらいところだ。
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人の手

最近まずい給食というので話題になりましたが、
学校給食。
このあいだの横浜市(在住なので)の市長選が
中学校の給食を復活するかどうかという争点だったやに思います。
私は結婚したこともなければ子供もおりませんので
学校給食が争点と言われてもなんとなくピンとは来ません。
ただ、毎日お母さん方が育ち盛りの中学生のお弁当を作るのも大変かなと想像するぐらいで、
実際にどうなのかはよくわからないものでもあります。


横浜にも件の給食のように「浜弁」なるものがあるらしく
業者に委託してそれを作っているようですが、
家庭からの弁当と選択制のようにも聞いています。
私の周りにお母さん方が少ないのでよくわかりませんが
そういうことらしいです。
なんかスマホで予約できたりするらしいですけどね。

私の記憶では給食センターにかかる人件費を考えると外注したほうが安いっていうことなんでしょうけど
民間っていうのはコスト中心でものを考えるので
神奈川県の平塚のあたりであった問題は、そこの意識の差というか
教育、食育ではなくて
要は食わせておけばいいっていう発想がそうさせたのかもしれませんね。
食品を扱う業者の中には、そういう徹底したコストカットが人の劣化を招いている企業もあるかもしれません。
コストをかけるべきところにはきちんと投資しないと
よいものは得られませんが、
なかなか地方の小さい企業には難しいものがあるかもしれません。
人の手配もできませんしね。

最近はアルバイトなんかもよく自分のするべきことを時間内にすればいいんだということを言います。
言われたことを自分の担当時間の中でこなしていけばどうせバイトだしとか。

私は言われたことをこなしているというのは、実は仕事の6割ぐらいしかできていないということなんだということを
どこかで聞いたことがあります。
引き続いて仕事をする仲間が仕事がしやすいようにとか、
今優先しなくちゃいけないのはどの作業がとか、
どうやったら時間内で効率的に作業できるかとか、そういうちょっと踏み出さないと仕事ってうまくいかないんですよね。

マニュアルとかシステムとかいろんなものが世の中を動かしているように思うこともありますけど、
やっぱりその向こうで汗をかいてるのは人だし、
人の手だなって思うんですよね。

それでもって、給食ですけど
給食のおばさんたちを無駄って決めつけたときからこうなることは運命だったのかもしれませんけど、
コストだけでない、そういう子供たちに対して投資することをやめちゃったんだなとも考えられます。
そういって食育だけを今のシステムに求めるのもちょっと酷な気もします。

アメリカじゃあ弁当ってパンにピーナッツバター塗ったりして、それで終わりみたいな、
そういう社会にいずれなるんでしょうかね。

ああ、そういえば選挙もあるんですね。
どういう社会にするかは、本当は選挙民のほうにあることを忘れずに。
今ボールは私たちにあるんですよね。

選挙には行きましょうね。選びにくくても。

57回目の誕生日と父の面影

きょうは57回目の誕生日だ。
いつのまにか、もう還暦が近いのだなと思う。
ちかごろ、誕生日が近づくと、父のことを思い出す。
父が亡くなったのは54歳になったばかりのときだったから、
私のほうがもう年上(?)になってしまった。
父の人生がどんなものであったか、直接本人に聞く機会はなかったので、
知りうるかぎりで想像してみても
54で人生が終わるということはなかなか想像できない。
まだやりたいことがあっただろうか。

父の風貌を思い出すとき、一種なんとも言えない感じ、
それは頽廃とも違うし、
仏教的な諦念でもない、
どこかにとらえどころのない奥底に複雑な感情を孕んでいて、
どこか押すところを間違えたら
大変なことになるんじゃないかと人に思わせるような
一種危険な感じを持っていた。
少なくとも私はそう感じていた。
だから小さいときはすごく身近だったにも関わらず
成長するにしたがって、その違和感ははっきりしたものになって
大人になってから(といっても父が亡くなったのは23のときだったから大人と言えるかどうか)
距離があったように思う。

ときどき思う、あのなんとも言えず人に違和感を覚えさせる感じをうまく表現できる言葉はないものかと。

その感じを誕生日を迎えるたびに、なぜだかなぞっているこのごろである。


bellum omnium contra omnes

2016年ももう終わります。
今年はどんな年だったでしょうか。

十数年ぶりに帰った熊本は
大きな地震に遭い、被害をまだ抱えたままです。
多くの災害が起こりましたので、
被災地というのがあちこちにできてしまったような気すらします。
復興というスローガンはよく聞きますが、
5年前の震災の被害さえまだ全然克服できていないように思えます。

そして、新しい年を迎えようとしています。
最近人が人に対して不寛容になったということを聞くようになりました。
自分のエゴだけで主張しても構わないという風潮、
それはまるで何かの箱があいてしまったかのように思います。
自分の都合のいいことだけ主張し、自分の思いたいように事実を曲解するのであれば
人間はもう社会というものを形成することができないかもしれません。
極端に言えば bellum omnium contra omnes(万人の万人による闘争)ということなのかもしれません。
この混沌とした中で人として自分をCa340002_2
保とうとするのはかなり難しくなるのかもしれないなという悪い予感もあるのですが、
迎えるべき新しい時代がもっと人が自律的に生きられる時代であることを願ってもいます。
激しいグローバリゼーションのあとは
揺り戻しのようにローカリゼーションが吹き荒れるのでしょうか。
そしてお互いがお互いを責めあい、叩き合うのでしょうか。


もうそろそろ自分たちがお互い人間である生き方をしませんかと、
お互いを認め合う世の中をつくりませんかと

そう願って新しい年が来ますように。


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