『その街のこども~劇場版』を見て

阪神淡路大震災が起きて
今年は何年になるんだろう。
あのとき、すでに社会人で電器屋に勤めていたので
店の大画面でその映像を何度も何度もみた記憶がある。
大学生のとき
京都に住んでいたので
神戸三宮には何度か行ったことがあり
それで駅の周辺がめちゃくちゃに壊れていることに
心がつぶされそうになりながら
そのあたりにいる友人のことを心配していた記憶がある。

『その街のこども』は阪神淡路大震災当時こどもだった男女が
追悼会へ向かうドキュメンタリー方式の映画だ。

東日本地震のあと
これを見ると
誰かが津波を見て
「自然は人間とは別の論理で動いている」と言ったのを思い出した。

阪神淡路のときは
建物が倒壊して、頑丈なたてものさえあれば、あるいは火災さえ起こらなければということが言われた。
防火水槽がうまく機能しなくて、海水をかけたりしたと聞いた。
そうして防災に努めなければと、しっかり心に刻んだはずだった。
でも
やっぱり人間は忘れる。
しっかりつかんだ指の間から
どんどん抜けていってしまう。

阪神淡路のときに活断層のことが云われ
各地の活断層のことも話題に上って
防災対策をとらなくちゃということになって
いろいろ方策をとったはずなのに
拡散していけば薄まったのか
あるいは予算の都合なのか
先送りされたせいなのか
時間が経つと
こんなに大きな地震は100年に一度ですからと言い訳しつつ
忘れていった。

自然は人間とは別のメカニズムで動いている

いや、
人間が作り出したメカニズムは人間にとってだけ有効なだけで
それは自然には全く関係ないということなんだ。
地球という器は
これまで想像するだけでもさまざまに変化してきているわけで
人間というものがそこで生きていくには
対応していくしかない。もし対応できなければ
それは絶滅するということなんだろう。

変化すべきはわたしたち。

とくに日本は地震が多く、
風水害も起こる。
昨日の豪雨だってそうだ。
あんなに風雨が強ければ
本当は出かけないのでじっとしてるしかない。

自然には寄り添っていくしかないのに
コントロールできたって思った瞬間に
ひっぱたかれる。

東日本地震から1年もすぎて
どこからかもう原発動かさないとなんて声も出てるけど
太陽電池パネルをあげるなんて話も立ち消えして、
代替エネルギーの話も聞かれなくなり、
再生可能なんてどこの話?って状態で、

この映画を見たら、ちょっと痛かった。
わすれっぽいわたしたちは、もうあれは記憶でしかないのか。

津波につよい街づくりも予算で中止
地震に強い建物もコストがかかりすぎてテキトーで中止
片付けなくちゃいけない瓦礫も放射能が怖くて移動中止。
再生可能エネルギーも理念は美しいけど実現可能性は低くて中止
わたしたちは我欲に走りすぎて現実逃避。

とうでんっていうならずものみたいな企業が生き残っているのも
あれは自分たちの責任じゃないもんって思っているからで
莫大な借金をつくっても政治家も役人も
あれは自分たちの責任じゃないもんって思っているからで。

税金あがっても
何も期待できないけど

わたしたちは
すくなくとも記憶しておこう。
安全なものなどどこにもなく
誰かを守ってやるなんてとてもできず
自分の身さえ
大きな自然のエネルギーに巻き込まれたら
どうすることもできない無力なものだんだってこと。
それでも
明日にほそぼそと希望をつなげていく生き物なんだってことを。

forbrydelsen サラは嫁にいけるのか?

うちがケーブルテレビに加入していて
仕事をしながら、常になにかしら映像を流しているという悪癖のために
よくSuperdorama TVがつけっぱなしになっている。
この電力不足のご時世になんていう不心得なというのは甘んじて受けなくちゃね。
で、最近forbrydelsen(ドラマでは「Killing」)というデンマークのドラマがお気に入り。
この局ではアメリカのドラマもすごくたくさん流れていて
それはそれでアメリカという国を知るのに役に立つんだけど、
このforbrydelsen(原題)は映像がまさに、ヨーロッパ。
昔デンマーク語を勉強したいと思ったぐらいだから、
このあたりの国にはすごく関心がある。(前世はヨーロッパにいたらしい?ので)
なんといっても、映像がすごく私の好み。
陰影がすごくきれい。
アメリカのドラマにはない、人間の深さ(いい意味でも、悪い意味でも)を感じられる。
20話あるんだけど、まだ7話終わったところ。
結婚退職でやめるはずだった刑事サラ・ルンドが
婚約者にあきれられないか、おばちゃんは心配。。。。(余計なお世話か)

ちなみにforbrydelsenはデンマーク語で(犯罪)って意味なんだって。

Fringe的妄想と「はやぶさ」

バイトに行く途中、
駅で電車を待っていたら、壁に大きな映画のポスター
新幹線の「はやぶさ」と映画の「はやぶさ」をひっかけたもので
渡辺謙さんが真ん中で腕組みしている。

小惑星「イトカワ」からなにやら持ち帰ってきた
「はやぶさ」
複数映画化されているのは
今日はじめて知りました。みんな同じ映画かとおもってた(汗)
「はやぶさ」が帰ってきたと日本中がなにやら、
自分の人生と重ねたり、
あきらめない科学者の姿が報道されていたとき
わたしは何を思ったか。

わたしはとてもひねくれもので
集団でわーっと走り始めるとふと立ち止まるくせがあるので
これは単なる妄想ととらえてもらって構わないけど。

何年も行方不明だった「はやぶさ」
帰還しても、それ自体に危険性はないのだろうか。
宇宙線で計器がこわれるほど宇宙線にさらされているわけだから
採取された微物に何も危険性がないのかな。
「FRINGE」ってドラマをたまに見るけど、
未知なる病原体なんか持ってきちゃったらどうなるんだろうって、
思うのね。
これでSFが1本書けちゃうかも。

確かに、あきらめなかった科学者はすごいと思う。
でも、どこか分からない所を通過してきた「はやぶさ」は
なんだかちょっと怪しい気がする。
その危ういうえに
なんだかこの英雄みたいな映画化。
そういうなんだかみんなで旗振っているみたいなときって
わたしはなんだかとっても不安になる。

宇宙って、ロマンみたいな気がするけど
本当は危険な物質とか
人が入っていけないほどの宇宙線とか
たくさんある。
科学ってほんとうは真実を追求するものだよね。
宇宙飛行士ってかなり被ばくする職業だし。

なんとなくロマンっていうの、多分作られている気がする。


矛盾

例のごとくザッピング中に
どんなものでも穴をあけるドリルと
どんなものでも穴のあかない壁で
どちらが勝つかって番組をやっていた。
例のごとくちらっとみただけだから、その勝負がどうなったとか
そんなことは分からない。

矛盾とは「韓非子」に出てくるどんなものもついてしまう矛と
どんなものも防いでしまう盾のはなしだ。

先日、国会中継をザッピング中、どなたかが
「日本の技術は優秀で…」という話が出てきていた。
それで、原子炉の格納容器はその特出した技術でつくられていて
簡単に破壊されるものではないという理屈だった。
(でも、今非常に危ない状態なんだけどね)
だから、福島以外の原発の再開を求めるっていうことなんだろうけど、
でもね、
そもそものことが間違っているんじゃないの?
格納容器は1つのパーツで、それがどんなに優れているものでも、
システムっていうのはそれだけでできているわけじゃないし、
そもそも、原発のシステムっていうのは、さまざまな企業の製品をつなぎ合わせているのね。
だから、つなぎ部分に不具合は起きやすいし、
そういうものを統合してコントロールしているひとたちも
全体が分かっている人なんてほとんどいないわけだから。
そこんところを無視して、何かをやろうとしても無理なわけ。

それよりも何よりも
使用済みの核燃料をどうするか
まったく考えられていないし、
どこへ捨てようっていうんでしょう。
日本国内で引き受け手があるとも思えないし、
外国へ持っていくとか?
昔は海へ捨てようってしてたよね。(海洋投棄)
捨てられないものを抱え込んで
格納容器に入れるものじゃないものを
入れて置くことの危険性は
福島でよくわかったはず。
捨て先が決まらないものをため込んでいて
あといくつ発電所をつくって
ごまかすの?
先送りしたつけは
もう天文学的数字じゃないの?

国内で処分しようとしているがれきすら引き受け手がないのに
高濃度の核のごみ、どこへどうしようっていうんでしょう。

そんななか、まだ政府は原発を輸出しようってしてる。
トルコとはまだ交渉中ですって言った矢先に
トルコで大地震。

地球の仕組みを考えたら、トルコには原発無理でしょう。
それとも事故を輸出したいの?
トルコは地震の多発国。

目先の利益ばかりに目をおおわれて
わたしたちがやらかした失敗から
何を学ぶか、
政治家、学者、マスコミの人たち、
そしてわたしたち一般の人が
もういい加減気がつかないといけないってことなんじゃないの。

連続ドラマそれとも一話完結

今テレビを見ると
日本の番組はつまんないので
よくケーブルテレビでアメリカの刑事ドラマとか
みることが多い。
「24」は最初のシリーズを見たきり、
もう最終シリーズらしいけど
すっかりおいてけぼり。
連続ドラマ、とくに24なんかはずっと見ることを強要されるような気がして
多分もう見ない。
裁判ものとかは好きでよく見るけど
どの回からみなきゃっていうものがないので
わたしは一話完結って好きかも。
「メンタリスト」などは、人間観察的なところが気にいって、
よく見ている。
「クリミナルマインド」はちょっとグロいけど
行動分析ってアメリカ人がよくやる手だけど
犯人が射殺される確率が高くて、困ったら殺しちゃうんだって
ちょっと抵抗ある気がする。

こういうわたしを分析して
きっと長いドラマを見るのには、
気が短いんだろうと。
そんで何か強要されると
すっかり気分がダウンしちゃう人間だってことだね。

さて、昼からはクリミナルマインドの再放送だな。

ああ、夜はLaw and Order :LAだし
こりゃ忙しいっす

※変換間違いを修正しました

気になるコマーシャル

新入学やら転勤などで
いま家具やら、寝具が売りどきなのはわかりますが
西友のCM。あれって誤解しませんかね?
「セイユー、ニトリ、アエーズ、イケア」(西友にとりあえず行けや)って
理解するまでちょっとかかりました。アエーズという店があるのかって思った程でした。
ニトリもイケアも実在しますし。

Zapping/Flipping

私は気が短いせいか、
TVのチャンネルをしょっちゅう変える。
ニュースなどは各局たいてい切り替えながら見る。
同じニュースでもかなり伝え方が違うし
まったく違うことを言っているときもあるので
興味深く見ることもある。

TV局の方も、こういう人種を想定しているのか、
フライングスタートやら、ステブレレス構成、CMあけのリピートや、ダイジェストなどを多用したりする。
こういった手法はまたザッピングを加速させる。

ザッピングとは本来トランピングとか、ピクニックのように気ままにあちこちをぶらつくことだそうだ。
転じて、さまざまな番組をリモコン1つで渡り歩くということらしい。
フリッピングはザッピングの1つの形で、2局を同時に切り替えながら見るというやり方だ。

TV局は視聴率が命なので
あらゆる手段を使って番組に視聴者をとどめたいと思っているのか、
最近は言葉の選択がなににしろ大げさだ。

ある番組をみていたら、顔面を骨折した女優が復帰したということをあらわすのに
「顔面崩壊からの奇蹟の復活」と何度も言っていた。
崩壊というのは、崩れ落ちるという意味だから、たとえ粉砕骨折をしていたとしても
「崩壊」というのはあまりに大げさ。
崖とか斜面、法面でもあるまいに。
またある時はニュースで、某幹事長が沖縄入りしてあいさつしたことに対して
「幹事長の鶴の一声」
鶴の一声の意味が違うし。。。。

こんなこと、ここ数日で何件もひろえるくらい。

かと思うと、読み間違い、勉強不足の言葉も多い。
大相撲の理事会選挙について
「ほおりごまおやかた」といったアナウンサー
それ「はなれごまおやかた」よ。放駒親方の読みは。。。


せめてニュースくらい、淡々ときちんと伝えてほしいかなあ。「あわあわ」じゃないよー。

ドラマの最終回って見逃すものなのかしら

日曜日、TVドラマ「JIN」の最終回があった。
連続してみていたわけではなかったけど、なんとなく見た。
昼間再放送していたこともあったので、何回かみたことがあったので
おおよその筋はわかっていたのだけど。
翌日、WEBに最終回の不完全さにクレームがTV局に寄せられたことが報道されていた。
続編があるのか、映画にするのかと憶測を呼んでいた。

そもそも最終回ってそれまで見てきたお話に某かの結末をつけなくてはいけないのだけど、
だいたいみるととってつけたようなお話がくっついていて
バカにされたような気がするものが多いような気がする。
制作上の都合もあるのか、
スポンサーの都合なのかはしらないけど、
おおよそ10回から11回で終わりになる。
最初からストーリーがかっちり決まっているものもあるだろうけど、
最近は人気を計りながら、つけ足したり、減らしたりするものらしい。
連載するコミックからドラマ化したりするものが多いと聞く。
件の「JIN」もまだ連載中なので、結末は付けられないということなのかしら。

ドラマの最終回って「あー見逃した!」というのがよいのかもしれない。
みなければ、夢中になった自分だけが残り、
失望とは遠いからだ。

アメリカって「ソープオペラ」とかいって、昼だけでなく夜のドラマも含めると、
長く続くようだけど、
何十年もやっているドラマがあるそうだ。
「ダラス」って死んだひとが生き返ったリしてたし。(めちゃくちゃだよ!)
最終回ってどうなったんだろう。。
日本だったら「渡る世間ー」かしら。
「渡鬼」って何年やってるんだっけ?
あれって最終回あるのかしら?

個人的にはどろどろドラマはすきじゃないので、「渡鬼」は見てません。念のため。
脚本家の方の人生観もあんまり共感できないし。

さて、来年は見る番組あるかしら。
(基本的にサッピングばかりしてるんだけどね)

20年目のマリアンネ

先日アルバイトの試験をうけに渋谷に(結局、なんだか騙されたけど)
次の用事までにすこし時間があったので映画でもみようとぶらぶらしていたら、
20年くらいまえに見た「バクダッドカフェ」がディレクターズカット版になって再演されていたので
見ました。
87年に公開されたこの作品をどこで見たんだっけなあ。
確かにみたはずなのに、なんだか新しい気がしました。色もきれいだったし。
チラシを見ると、17分増えているようです。
20年もたっているので、どこが増えたのか、
うろ覚えです。。。。

ジャスミン役のドイツの女優さんのマリアンネ・ゼーゲブレヒトさん。
最初に見たときも、女性はやせていなくてもきれいなんだと思わせてくれた人でしたけど
今回はとても輝いて見えました。
今はどうしていらっしゃるのでしょうね。
「シュガーベイビー」という映画に出ているのをちょっと見ましたけど、
画像がいまいちだったので、多分全部は見ていない気がします。

「コーリングユー」という主題歌が耳から離れませんね

松本清張生誕百年というので

最近ずっとうちにいるので
TVを見ることが多い。

松本清張の「ゼロの焦点」が映画化されて
公開されるというので、主演の広末さんが各局に出てそのプロモーションに励んでいる。

以下は映画を見ようとしている方にはネタばれの可能性があるので注意。

私が「ゼロの焦点」を読んだのは、いつのことだったかなあ。多分中学生の時だったか。
私は昭和35年の生まれだから、この作品が出された昭和34年には生まれていない。
中学生のときだから、昭和34年を想像しながら読んだ覚えがある。
昔の田舎は時代の進み方もゆっくりで、昭和40年代の後半から
昭和30年代を想像しながら読むということはそう難しくはなかった気がする。
でも、今は平成21年。年号も変わり、高速鉄道網が整備され、飛行機が日常になり、人々が携帯を持つのが当たり前になった。そんな時代から昭和34年はどう映るのだろうか。
江戸時代や明治時代と等しくなるとは言えないが、若い人には戦前と昭和30年代とさほどかわらないように映ることだろう。

広末さんいわく、衣装とか当時のものがなく、イギリスから生地を取り寄せたりして、時代の感じをだそうとしているそうである。

清張作品というのは、強く時代の雰囲気と結びついているようだと思う。
映画がそのあたりを表現できていればよいかなと思う。

数年前、「砂の器」がTVドラマで渡辺謙さんが刑事役でリメイクされていたが、
現代に背景を移してしまったがために、なんだか期待外れだった気がする。
一番肝心な犯罪の動機の部分が、すり替わってしまって、大変スケールダウンしてしまった気がした。

今回の映画を見にいくつもりはないけど、
北陸のあの風景を見たくて、大人になってからわざわざ雪の時期に能登を訪れたことがある。
雪だまりにおっこって危うく遭難するところだったけどね。
そんなことを思った日だった。

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