いじめとか

人間って本来的に区別したり
差別したりする生き物だから、
何か違ったり
何か優しかったりすると
いじめられたりするんだよね。
大人の世界もいじめはあるし、
いじめがなくなるなんてことは
個人的な意見だけど多分ないと思う。

行き場がないと思ったら
そこからとりあえず逃げて。
学校なんか行かなくたって
後からなんとでもなるから。

小学校のとき担任の先生がすごい人で
かなりいじめられた。
うちの両親は教員なので
教員の苦情は親には言えず、
小学校1年のわたしはぼんやりしてたから
学校ってそんなもんだと思って過ごしていた。
でも、本当はすごいいじめと暴力を振るわれていたんだってことを
後から認識した。

わたしは現実逃避して
いろんな絵をかいたり落書きして先生の言うことをスルーしちゃう術を覚えてしまった。
それのおかげでまあ今日まで生きてこられたけど、
尊敬できたり信頼できる人を見出すことがとても難しくなった。
でも、
生きていてよかったなと思う瞬間もある。
このところやっと自分が生きてても大丈夫って思えるようになったので、
いじめられてる人に言えることは
なにごとも後からなんとかなるから
とりあえず逃げても大丈夫っていうこと。

自分が役に立たない人間だとか
ほんとそのへんのほこりよりも軽い存在のように思うかもしれない。
自分が死んじゃっても、だれにも振り向かれないように思うかもしれない。

世間は冷たいから
そのうちに忘れちゃうだろうし、
泣く人がいるよって言っても多分そういう状況の人は
聞く耳もたないだろう。

とりあえず生きてみてとしか言えないけど
多分生きてみたら分かる。
自分を苦しめているのは
自分が作った幻想みたいなものだってこと。

自分を生きられるようになれば
何言われても
たとえ独りぼっちでも
生きていけると思うよ。

どうか苦しかったら逃げて。

今日は防災の日ですね

朝から東京の環7から内側の道を封鎖する訓練をやっていることが報道されていました。
今から80数年前、関東大震災が起こった日ですね。
今回の東日本の大震災があって、自治体も防災計画を見直したり、
津波や、火災を想定した訓練をおこなっているようです。

ゆうべNHKの放送で関東大震災の前に、その危険性を指摘し
防災のためにさまざまな方策をとるようにと主張した学者さんがいたことを知りました。
そのときも、『地震が来る』ということだけが強調され、
それに備えるということがあまり報道されず、結局はあのような大災害を前に何もできなかったことを
その学者さんは悔やんでいたそうです。

マスコミって、センセーショナルで報道しますけど
人のためになることってあまり報道しませんよね。

今回の震災もなんだか、
そんな気がします。

自然災害っていうのは、科学でまだまだ予測できないというか、
科学がまだその十分なデータすら持っていないということですね。
科学的っていうと、ものすごくいろんな仕組みが分かっているような気になりますが、
人が知っていることはまだほんの事実の薄皮なんだということを思い知らされます。

予測付かないっていえば
このあいだ路地で出合いがしら自転車同士でぶつかって
自転車が壊れました。
相手の方も転んで少し怪我をされたのですが、一応自転車の保険入ってたので
それでカバーされました。
保険入っておいた方がいいですよ。
たとえ自転車でも、相手に大けがさせたり、場合によっては亡くなったりする場合もあるので。

今は反省の日です。もうちょっと気をつければ、怪我をさせることもなかったのにね。

こんなときに考える過剰包装

今パートに行ってる食品スーパーで品だし作業をしておりましたら、
サラダ油のキャップが前と違っているのに気がつきました。
以前は、キャップの上に青いカバーが掛かっていたのですが、
これが無くなっていました。
サラダ油は皆さん多分ご存じだと思いますが、
ふたを開けたら、そこに結構固いプラスチック製のプルタブが付いています。
それをあけて使用するわけですが、
それを保護するために、ふた部に薄いプラのカバーがついていたのです。
考えると、これ必要だったんでしょうか。
今売り場で、青いカバーのものと、はずれたものが並んでいます。
震災で包装材の確保が難しくなったとあとから聞きました。

20年ほど前、社員で流通業に従事していたとき、
お客様がすでにカバーがかけてあるものをさらに包装してって言われることが多くありました。
カバーの上にカバーをかけて・・・・なんか変だなとおもいつつも
言われる通りにしておりました。
でも、過剰包装ですよね。

確かに贈答品とか、紙でくるんで、きれいにするというのは1つの文化だと思います。
包装の仕方とか、芸術品のようなものがありますね。

でも、第2の戦後と言われるようなこの時期。
エネルギーや、資源というものにもう少し注意を向ける時期でもある気がします。

震災後、店でも包装材や、ビニールの袋がなかなか入ってこない時期がありました。
エコバッグのお願いを貼りだしても、なかなかそうしてくださるお客様は少ないです。
エコバッグなどの値引きがないからかもしれませんが、
うちのお店の場合、価格をかなり下げて販売しているので、割引にすることがなかなか難しいのかもしれません。
お客様によっては、袋の入れ方にかなり注文のある方もいて、
3つ、4つとお分けしていれて、なおかつ二重にしてなんて注文も。

電気や資源を少なくして生活していくということを
ちょっと今考えていかなくちゃと
わたしは思っています。

どこかの新聞で、飲料水のキャップの規格を統一して出荷するようにしたと書いてありました。
飲料水のキャップを生産する工場もいくつか被災しているようです。
メーカーによっていろいろサイズがあったのも初めて知りました。
キャップの色や形にメーカーのそれぞれの工夫があったのでしょうが、
この際、そこは譲ってもらうってことですね。
ペットボトルなども処理しやすいように、
規格が統一されるといいですね。

震災は大変なことです。
でも、これを機にそういうことも考えていきたいと思います。

老後難民予備軍

なにやら投資信託の研究所が発表したんだけど
今のサラリーマンのほとんどが退職後の生活に
準備不足だそうです。

わたしはそういう意味では

すでに難民ですけどね。

今週からスーパーのバイトも入れました。
来月のお金もありませんから
老後には全然備えてません。

笑うしかないかな。(てへ)

α♂ ボス猿幻想

高崎山の猿山で、11年もボス猿である「ゾロ」の話題が新聞に載っていた。
近頃は研究もすすんで、実際にはボスを頂点とするヒエラルキーがあるのではなく、
なんとなく、序列があるというくらいのもので、
ボスは群れを守るとか、ハーレムをつくるというものでは全く違うので
80年代くらいから、αオスという呼び方を研究者が採用しているらしく
高崎山もボスという呼称は使わなくなったとか。
人間って何かのコミュニティーに、人間社会の縮図を感じるのか
このボス幻想をずいぶんと引きずっていた感がある。
ある研究では、第一位の地位もメスの人気で決まるみたいなことも云われているし
現実の生態ではおおよそ違うことが多いのかもしれない。

まあ記事には、猿の政権はずいぶんと長く続いているのに、
人間様は…という論調だったけど
それも一種の幻想みたいなもの?なのかしら。

現実の生態をじっくり観察してみましょう。
もちろん、猿ではありませんが。

大型店が去ると

業界の再編とか
合併とか吸収とか
流通の世界もいろいろあるようですが、
かつて大手の流通の世界にいたとき、
入社研修で大手のスーパーが出店することは「悪」ではないんだ。
商店街も共存して発展していくことができるんだと教わった。

たしかに自分の会社のやっていることを悪くいう経営陣なんていないだろう。
研修のときに、取締役などがその経営の方針をすごくよいものとしてわたしたちに披露していた。
なんだか割り切れない気持ちだったけど
その方針は正しいものとして受け止めないとその世界では生きていけなかった。
そう、だんだんとその割り切れないものは大きくなって
3年もたたずその仕事をやめた。

その後もいくつか流通関係の仕事をしたが、
言葉は違えど、発展こそが、結局はみんなの幸せなんだ、と言っていた。

でも、今は商店街も消え、町も弱り切っているのに、
大型店は整理縮小されていくのだよね。


そして何も残らないのか。

その片棒を担がされていたんだなあと今は思う。

つむじ風 ナズナと私 俯いて (遊離哉)

心にのこるマイケルの手

朝からニュースで知った
マイケル・ジャクソンさんが亡くなったそうだ。

2006年の5月に来日して
近くの児童施設を訪問されたとき
偶然その手だけを見た。(ブログに書いていた)

なぜ亡くなったのか詳細は分からないけど
青年がサインをもらおうと自転車で車を追っかけていて、
彼はまどから手だけをだして、その青年に手を振った。
それだけを反対車線から見ていた。

あとから、考えるとマイケル・ジャクソンさんだったなと思うだけで
本当はどうだったのか、知る由もないけど。

いろんなことがあって
たくさんのプレッシャーや、心労もあっただろうに。
追いかけてくる青年(彼には幼い子に思えたかも)に手を振った。
その行為に彼の優しい気持ちがあるようにも思える。
いろんな目にあって、私なら全く人間嫌いになって、
閉じこもってしまうだろうけど。
やっぱりスターは違うなあ。

そう思ってた。

亡くなったと聞いて、言葉もないが

彼の無垢な魂が、神のもとへ導かれたのだと思いたい。

ビンボーユスリと全面禁煙とエイプリルフール

4月になりました。4月になると、なにやら新しい気分になるものだ。
通勤途中の道にも桜が咲いていた。

今日から、JRの首都圏の駅はホームが禁煙になった。
私にとっては喜ばしいことだ。
気管支の状態があまり良くないので、
10メートル離れていてもたばこの煙は気になってしまうから。

電車が停車中にたまたまそこが喫煙場所だったりすると
空いたままのドアから、そこにかたまって吸っている人の煙がもうもう。
そんなことがもうないのは、大変うれしいこと。

どこかの学者が言っていたのだけど
完全な分煙は無理なんだそうで、
喫煙者はたいへんだろうけど
なるべくひとのいないところで吸って
煙が抜けてから建物に入ってほしいものだ。

TVで、改札の手前に喫煙コーナーを作ってほしいなんて話。
私は絶対反対。
入口に灰皿を置いている店とか、
店内で吸われるより最悪と思うが。


さて、そんな禁煙になった影響ではあるまいが、
今日、私が電車の座席に座っていると、
あとから乗ってきた男性。
耳にはヘッドフォンがあったので
きっと音楽を聞いているのだろうけど。
立っているのにもかかわらず、
片足づつずーっと貧乏ゆすり。
横浜ー新橋間ずっと。

数独を解いていたのだけど
ちょうど眼の前の足が上下するので、
なんだか私の方が落ち着かない。
貧乏ゆすりは日本ではあまりマナーにかからないのか
男性でやるひとが多い気がする。

おまけに降りるとき、
荷物を網棚からおろした拍子に私の頭にぶつかった。
もちろん、謝ることはない。。。。


さて、エイプリルフール。
楽しくなるような嘘がないものか。


卯月には 身を整えて 正坐して (遊離哉)

Harland

2-3日まえ

ニュースで道頓堀川のヘドロの中からケンタッキーのお人形が発掘(!)されたという報道を見た。
なにやら24年前に放り込まれたものらしい。
確か阪神が優勝した年、私は奈良県の田原本町という町にいて、
私の勤め先もわずかばかりの優勝セールをさせてもらった記憶がある。
あれから24年。
24年もヘドロのなかにいると、あの白い人形はああなるのだね。
なんだか「足が出ました」「右手が出ました」なんていうと、なんだかバラバラ死体のよう。。
ちょっと気持ちが悪いなあと。

阪神ファンのあいだには「カーネルの呪い」というのがあるらしく、
朝から情報番組で取り上げられていた。
ランディ・バースは現在母国で議員さんらしいが、そのコメントも寄せられていた。
ケンタッキーのお人形とバースが似ているというので川に放り込まれたという節もあったね。
そういえば、アメリカには「バンビーノの呪い」というジンクスめいたものもあるので
それで優勝できない。。。。(そんなわけないだろ)

ところでよくこのお人形。カーネルおじさんと言わているけど
カーネルというのは、たしか名誉なんとかみたいな意味で
ケンタッキー州に貢献したから、そう呼ばれると聞いたことがある。
本当のお名前はハーランドさんだから、
本当はハーランドおじさん。またはサンダースおじさんというのが正しいような気がする。

だけどこれを甲子園に飾ろうとか、さまざまに展示しようとかあるらしいけど
なんかあのままだとちょっと悪趣味。。。。と思うのは私だけかしら。

雪が降りました

ことしは雪がふらないかと思っていた。

朝出勤途中に地下鉄の駅から出ると
雨に白いものが混じっていた。

おお雪じゃん!

数年前にお正月にどーんとドカ雪が降って以来
あまりお目にかからなかった雪が
降っていた。

思わず空を眺めることしばし。

東京で雪が降るってことは、
もうすぐ春だよってことで。

世の中に少し光が差す気がする。
暗いニュースの中でちょっとだけ幸せな気分になれた。

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