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2012年8月

朝ドラで地域医療の先生のドラマやってるけど

何か具合が悪いけど
何科の病院にかかったらいいんだろうとか
これって病院行くべきなのかなって思うことありませんか。
先日も、うちの相方がずっとくしゃみが止まらず
アレルギーなのかしら
風邪なのかしらって状態で
そういうとき、なにかしら熱があるとか
動けなくなったとか激しい症状がないかぎり
さて、病院に行ったもんでしょうか、
行くとしたら何科にいくべきなんでしょうかってことで
結局は行かずに症状がよくなったり
悪くなったり。

その昔わたしがまだ20代の後半のころですから、
1980年代の終わりごろ。
臨時で県庁の出先機関に勤めていたんですが、
なにやら右うでの内側から胸にかけて
火ばちでも押しつけられるような
激しい痛みに襲われました。
何かやけどでもしたのかってくらいだったのですが、
2日間ぐらいは表面にはなにも起こらず
それでも痛みはどんどんひどくなり、しまいには背中の方まで痛くなってきたので
とりあえず近くの内科の先生のところへ。

あっちこっちに行っているわたしは
定住ができない人のようなところがあって
そのときもニュージランドから帰国したばかりで
かかりつけのお医者さんというのは
ありませんでした。

その内科の先生のところで
じゃあ、服を脱いで、痛いところを見せてくださいって言われて、
服をまくった瞬間。
わたしの腕の内側、胸に水疱ができているのが見えました。
先生よりも先に
ああ、これはヘルペス
と分かりました。
兄が小さいときにこれにかかり長く治療に通っていたのを覚えていたからです。

でも、それがどういう病院にかかっていたか
子どもだった私には
母が兄を連れて、バスで病院通いをしていたことしか記憶にありません。
だから、その内科の先生の云う事を信じました。
「ビタミン剤のんで寝てれば治るよ」

そして、その後、2日間眠ることもできず
痛みに耐えて、どうしようもなくなって
ほかの病院に行きました。
痛みに耐えるとあまり体にはよくないらしく
わたしはかなり衰弱して、ほかの感染症の危険もあり
入院となりました。
ほかの患者さんに感染するのもよくないということで
4人部屋に1人。普段使っていなさそうなそのくらい病室で
10日間過ごしたことがあります。

ヘルペスは皮膚科にいくとかなりいいお薬がその当時でもあったそうです。
でも、素人のわたしには、頼みの綱の内科の先生が「寝てれば治る」といった言葉を信じるしかなかった。

フランスなどでは家庭医制度が発達していて、
まずは自分のかかりつけのお医者さんに相談するというのが筋道だそうです。
アメリカの一部などでも、家庭医が重要視されているところもあるということです。

NHKで「ドクターG」という番組が好きで、ときどき見ているのですが、
やっぱりかかりつけのお医者さんじゃないと、
いろいろな患者からの話から
病気を見つけるのは無理なのじゃないかなと思ったりもします。

お医者さんには看板あげていい科の名前とか法律で決まっていて、
本当はこれが得意なんですなんて看板はあげられないそうです。
だから内科やら漠然としたところからその先生の得意な分野を探さなくちゃいけないとか。
「ぼくはジェネラリスト」ですって看板はあげられませんから、
素人のわたしたちは、途方に暮れるしかないんですよね。

それに、またわたしたちも
かかりつけより、有名な先生に診てもらいたいって思うのか、
有名な先生には本当に集中して、何時間も待ってっていうことになるんですよね。

わたしは、もう今住んでいるところから引っ越す予定はないので
求む、わたしのかかりつけ医ってところなんですけどね。

近所にいるかなあ。そういう何でも相談できる先生・・・・

それでも前へ行くしかない

連日、いじめの問題やら
隣国とのさまざまな問題やら
暑いのにさらにうっとおしい問題が多くあるけれど。

それでも前に行くしかない
って今日どこかのドラマでの主人公のセリフ。

いじめの問題も
実社会がきわめていじめの社会であるから
子どもの世界はそれの縮小版
いじめゼロなんて、多分不可能。
それを死ななくてもいいようにするために
「いじめはない」じゃなくて、
「いじめはあるかもしれない」って思ってないと。

教育界の隠ぺい体質は今はじまったわけじゃないし
昔からやばいことはずっと隠してきたわけで。
教育界の管理職というのは、すでにして
教育という視点は忘れてしまったひとたちなので
そこは組織をいかに無事に残していくかという視点しかないという
前提で
物事を見ていかなくちゃいけない。

それに、人に求めることに
今あまりに完全なものを求めるから
不完全な人間はみんな弾き飛ばされてしまう。
育つことができなくて、みんな途中でおかしくなって
頓挫してしまうことが多い。

学校の先生はみんなスーパーマンじゃないし
お医者さんはみんなが名医なわけじゃない。
でも、みんなが最高の教育や、サービスを求める。

まあ、それって、何か劣等感の裏返しのような気もするけど。

まあ
それでも
それでも前へ行くしかない。
前を向いて行くしかない。

スマートフォンは携帯じゃないので

わたしもスマートフォンを持っていますが
これはたまたま値段が安かったのと
AUのサービスに激怒していたので
はずみで購入した経緯もあります。
でも、スマホはやっぱり携帯電話じゃなくて
小さい高性能のパソコンなんですね。
しかも、画面も携帯よりは大きいので
いろんな画像をみたりすることも可能になりました。
でも画面が大きいっていうことは
公共の場で、その画面を見ることは
人からも見られるってことがあるということですよね。
携帯なんかはよく人から見られないように
シールドを貼ったりなんかしてましたよね。

数日前、電車の中で
男性がきわどい写真を携帯で見ていました。
電車が混んでいたので、たまたまその画面がわたしの前あたりにあり
しかもわたしは老眼なんで、そのくらい離れるとちょうど見えちゃうっていうあたりに画面があったわけです。
詳述は避けますが、
そんな写真をここで見てるかーっていう内容です。
最初、この人盗撮してるのかって思っちゃったくらいです。
それも拡大して、すごく食い入るように見てました。


趣味はとやかくいいませんが、スマホの使い方には気をつけていただいきたいと
思います。となりに小学生も乗っていましたので。

そういう写真はぜひひとりのときにお願いします。

先日バイト先で

配送便が来て、店に品物を出しておりましたら、
味噌に「無添加」の文字がたくさん。
ふと、考えてみますと、無添加ってなんでしょ。
なんとなくいいものみたいになって表示もされてますけどね。
味噌に無添加って、えっと、味噌自体が調味料で、
添加物な気がしますけど。。。。
調べてみますと、なにやら定義もあやしいようです。
添加物の協会というのがあって、そこの定義によると
「食べ物を作ったり、加工したり、保存するときに使う
調味料、保存料、着色料などを、まとめて食品添加物といいます」
とあります。
ということは、はっきりとこれっていうものはなくて
材料以外は全部添加物っていうことにもなります。
そうすると、味噌の無添加って何が添加されていないというのでしょうか。

業界団体や役所もなるべく具体的に書くように指導しているようですが
じっさいは「無添加」なんて表現しているものがたーくさん。
むかし「のようなもの」って映画がありましたが、
なんとなくいいもののようなものっていうことなんでしょうか。

なんとなくよさげなもの、
なんとなくわるさしそうなもの、

このなんとなくが企業やらマスコミやらが作り出す一種の幻想なのかもしれません。

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