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2011年3月

計画停電

昨日、計画停電が始まって4回目の停電があり、
仕事から帰ってくると、最寄の駅の周囲がまっくら。
夜の停電は昨夜が初めてでした。
普段駅前駐輪場は自転車をつるして収納する屋根のあるところに契約しているのですが、
停電があることがわかっているので、外の臨時駐輪場にとめていました。
先日電車で帰宅が困難になったときから学習して
懐中電灯を持ち歩いていましたから、
まっくらな駐輪場から自分のを探すことができました。
それに月がでていましたし。

ああ、月って明るいんだなって。

被災されている方はこの月をどんな気持ちで見ているでしょうか。
わたしたちは1日に3時間だけ停電するだけですが、
暗い中、ずっと耐えていらっしゃるだろう人々の気持ちを想像します。
昔台風で家が壊れ、電気が一週間来なかったときの気持ちを思い出します。
台風は過ぎてしまえば回復するのもまだ希望が見えます。
でも、今回はいつまで、いつまで耐えたらいいんでしょうと
きっと思っておられるでしょう。
わたしたちもそれにこたえることができません。

私が住んでいるのは横浜ですが、
多分みんなが漠然とした恐怖におびえています。
それは、このような被害のすぐ隣にあり
今も毎日余震があり
さまざまなデマや誇大な情報に振り回されているからだと思います。
今食料品の店でバイトをしていますが、
毎日いつも以上に品数は入荷しています。
ないものもありますが、決して枯渇しているわけではないのです。
わたしたちも一生懸命並べていますが、
すぐに無くなってしまいます。
それで、無邪気な子供が
「あー何にもないね」っていいます。
そうして何にもなくなってしまった棚が
ますます人々の漠然とした不安をかきたててしまい
また過剰な買い物を生み出してしまう。
ネガティブなスパイラルが生まれていっています。

「牛乳ないの」
「たまごないの」
「トイレットペーパーはいつ入るの」
お答えするのは仕事ですから、お答えします。
でも明日いくつ入るって確実じゃないんです。
2-3日まてば入ってはきますが、それが具体的じゃないだけなんです。

でもどんなお答えをしても
お客さんの心の中では不安が不安を呼び
もう今かえなければ絶対入ってこないって気持ちになってしまうようです。

もう少し冷静になりましょう。
ものは無くなってはいないし、
停電の合間をぬって、外食だってできます。
定食屋ではご飯でてるでしょう?

メーカーだって、
運送だって
販売店だって
がんばって品物を供給してるので

冷静になりましょうよ。
それで冷静でわたしたちが日常を取り戻すことが
きっと被災地のためになると思います。

追記
わたしはプロ野球セリーグの開幕が
こんなにみんなが節電してるなか行われることに
どんな言い訳をしても詭弁に思います。
収益を被災地に送ることができるなどといわれていますが、
都内23区だけ今停電していないという状況なのですから
それは首都機能が失われないようにと
みんなが譲っているだけなんだということを
分かってない。
娯楽でみんなが喜べる日は
まだ来ていないと思います。

地震

まずこの地震で被災された方
お見舞い申し上げます。
亡くなった方お悔やみ申し上げます。

地震が起きたとき、横浜市内神奈川区にある店で
シフトに入ろうと到着直後でした。
着替えに入ろうとしたとき、すれ違ったお客様が
地震?って言われました。
え?と思ったら、ゆらーりとゆっくりした横揺れ。
とにかく、瓶などの棚からお客様を遠ざけ、裏口のかぎをあけて
脱出に備えました。
すごくすごく長い時間に感じました。
船かバスに揺られているようでした。終わったあともなんだかまだ揺れている感じ。
多分経験したことのない揺れ。
幸いお店の商品は軽いスナック菓子などが落ちた程度で、瓶は棚を社員が押さえていて
無事でした。
停電もなく、ほっとしました。

そのあと着替えて、通常の業務をはじめたところでまた地震。
さきほどくらいの揺れが何分も続きます。
床がなんだか波うっているような気がしました。

それもなんとか無事に終わると、
今度は鉄道がすべて止まっているという話。
店にはテレビもラジオもなく
携帯電話は何もできない状態。
お客さんからきれぎれに聞く話で情報を得るような形でした。
それからしばらく業務をおこなっていると、
尋常ではないくらいのお客さんが来店。
レジをフル回転しても追い付きません。
シフト時間が終わっても、レジには長い列。
帰ってよいものかどうかためらわれました。

鉄道も動いていませんでしたから
どうしてよいか分からずしばらくレジを残業してて
きりがないので7時半くらいに
とりあえず横浜駅まで歩けばもっと情報が得られるかと思い、
30分くらい歩いて横浜駅まで行きました。
横浜駅はもう閉鎖されていて、パシフィコ横浜へ行けといわれました。
まったく復旧の見込みがないようです。
駅構内にいた人たちは追いやられるようにそこで行くようにアナウンスがされていました。
そこで初めて津波の被害を街頭のモニターで見ました。
日本はどうなっちゃったんだろうと思いました。
家は気になりますが、どうやって帰れるだろう。。。。
おおよそここから家まで20キロくらい。1時間に4キロ歩いて5時間くらい。
しかもいつも鉄道で移動しているので道がよくわかりません。
自転車でもあればいいのですが、あいにく自転車やさんもありません。
道は車で大渋滞。バスなどもまったくあてに出来そうにありません。

歩いて帰ろう。

そう決断するのにあまり時間はかかりませんでした。
川崎まで歩くっていう人にも逢いました。
きっとその人が歩くのならわたしも歩けるだろうと。
疲れないように、ゆっくり自分のペースで歩けばきっと大丈夫。

そう信じて道を確かめ、確かめ歩き出しました。
途中何度かお店に寄りましたが、もう売るものがない状態。
麦茶を買いましたが、結局おトイレがどうなるか分からないので
あまり飲めませんでした。

まず戸塚まで出れたら、家には帰れると思い、戸塚を目指しました。
1号線の周りは銀座か竹下通りかというくらい歩いている人がたくさん。
だんだんと夜が更けていきますけど、さほど怖いという気はしませんでした。
6キロぐらい歩いたところで、痛めている膝が痛み始め、休憩も多くなりました。
戸塚まであとどれくらいだろう。
戸塚区にははいったけど、まだ遠いんだろうなあ。
と権太坂を下りながら思っていると、
なんと、戸塚駅ゆきと書いたバスが、左の道から出てこようとしてるじゃないですか。
しかも信号停電のため、警察官が誘導している交差点で停車してる。
わたしの行く方に警察官は手招きしてるんで
自然と小走りに、痛い膝もなんとかもってくれました。
目の前のバス停。光が輝いて見えました。
無事バスにのれて戸塚駅にいくことができました。乗れた時点で5時間くらい歩いていました。
くたくたでした。
戸塚駅からは自宅に行くバスがまたすぐに見つけられて深夜12時半に家につくことができました。

帰宅して初めてニュースを見ました。
大変な被害を受けている人にくらべれば
帰宅難民で歩いて帰宅するなんて
ほんとうに些細なことなのかもしれません。
筋肉痛ですが、今日も無事にわたしはすごすことができたことをありがたいと思います。

原発が一日もはやくおさまりますように。
ただ祈るだけしかできません、
あすからは停電があるそうです。
すこしの不便はみんなで負担してしかるべきと思います。
データなどのバックアップをして
停電に備えます。

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