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2010年1月

Zapping/Flipping

私は気が短いせいか、
TVのチャンネルをしょっちゅう変える。
ニュースなどは各局たいてい切り替えながら見る。
同じニュースでもかなり伝え方が違うし
まったく違うことを言っているときもあるので
興味深く見ることもある。

TV局の方も、こういう人種を想定しているのか、
フライングスタートやら、ステブレレス構成、CMあけのリピートや、ダイジェストなどを多用したりする。
こういった手法はまたザッピングを加速させる。

ザッピングとは本来トランピングとか、ピクニックのように気ままにあちこちをぶらつくことだそうだ。
転じて、さまざまな番組をリモコン1つで渡り歩くということらしい。
フリッピングはザッピングの1つの形で、2局を同時に切り替えながら見るというやり方だ。

TV局は視聴率が命なので
あらゆる手段を使って番組に視聴者をとどめたいと思っているのか、
最近は言葉の選択がなににしろ大げさだ。

ある番組をみていたら、顔面を骨折した女優が復帰したということをあらわすのに
「顔面崩壊からの奇蹟の復活」と何度も言っていた。
崩壊というのは、崩れ落ちるという意味だから、たとえ粉砕骨折をしていたとしても
「崩壊」というのはあまりに大げさ。
崖とか斜面、法面でもあるまいに。
またある時はニュースで、某幹事長が沖縄入りしてあいさつしたことに対して
「幹事長の鶴の一声」
鶴の一声の意味が違うし。。。。

こんなこと、ここ数日で何件もひろえるくらい。

かと思うと、読み間違い、勉強不足の言葉も多い。
大相撲の理事会選挙について
「ほおりごまおやかた」といったアナウンサー
それ「はなれごまおやかた」よ。放駒親方の読みは。。。


せめてニュースくらい、淡々ときちんと伝えてほしいかなあ。「あわあわ」じゃないよー。

大型店が去ると

業界の再編とか
合併とか吸収とか
流通の世界もいろいろあるようですが、
かつて大手の流通の世界にいたとき、
入社研修で大手のスーパーが出店することは「悪」ではないんだ。
商店街も共存して発展していくことができるんだと教わった。

たしかに自分の会社のやっていることを悪くいう経営陣なんていないだろう。
研修のときに、取締役などがその経営の方針をすごくよいものとしてわたしたちに披露していた。
なんだか割り切れない気持ちだったけど
その方針は正しいものとして受け止めないとその世界では生きていけなかった。
そう、だんだんとその割り切れないものは大きくなって
3年もたたずその仕事をやめた。

その後もいくつか流通関係の仕事をしたが、
言葉は違えど、発展こそが、結局はみんなの幸せなんだ、と言っていた。

でも、今は商店街も消え、町も弱り切っているのに、
大型店は整理縮小されていくのだよね。


そして何も残らないのか。

その片棒を担がされていたんだなあと今は思う。

つむじ風 ナズナと私 俯いて (遊離哉)

もうすぐ1月も終わりです

時間だけが過ぎていく感じがします。

ただ、ぼんやりと外を眺めていると
いつの間にか暗くなっています。
少しだけ日が長くっている気がします。

今日も富士山がきれいに見えていました。

来月は冬季オリンピックですね。
スケートもスキーもまったくできないので
ただ見ているだけですが、
日本選手だけでなく、素晴らしい演技が見れるといいなと思います。

カナダはかなりエコに気をつかった大会にすると以前記事を読んだので
そんな紹介なども見たい気がします。
日本はいつまでもエコ先進国と自負しているようですが
ほかの国もけっこうがんばっているらしいので
そういう点も注目点ですね。


知らぬ間に 翳りゆく空 風巻き(しまき)かな 
遊離哉

ハイチ地震

中米のハイチでの地震の被害は、凄まじいものが有るようだ。
日本から救援チームも入っているが、これまで見たこともないような被害だと伝えている。国自体の基盤が元々弱く、貧しい国で災害に備える余裕などなかったのだろう。地震で国が壊滅してしまうかも知れない。
国際的に支援はするだろうが、なんせ何百万人規模の被災だから、ほんとうに全世界が一丸となって支援しないと、間に合わないだろう。戦争とかやってる場合じゃないよね。
ほんとに

小林繁さんが亡くなった

突然のことでちょっと驚いた。
小林さんと言えば、江川卓さんとの因縁話が有名だが、
あのときは、小林さんが悲劇のヒーローで
江川さんがその性格からなんだか悪役になってしまった「空白の1日事件」。

プロ野球の選手というのは、プロに入るのに
球団を選べない。
選ぼうとすると、今年のホンダの長野選手のように
何度もドラフトを経なくてはならないというのも
なんだかよい方法はないのとも思う。
一方で、そんなに球団に執着しなくもよいのでは?とも思う。
普通の人が何かの業界に入るのに、
就職試験も受けられないということはないので
なんだか想像のつかない世界だなあと思う。

私は変わり者なので、
世間が江川さんをバッシングしていたときも
なんだか江川さんを応援していた。
プロに入るのが少し遅かった気がするが
それなりにいい投手だったと思う。
ぎゃくに巨人ではなく、
パシフィックのどこかの球団で
じっくり育ててもらったらもう少し活躍できたんじゃないかと思うのは
きっと本人ではないからだろう。

小林さん。まだ50代だった。
全身ナルシズムの権化のようだったので
私の好みではなかったけど
実力はあったので、いい投手だったと思う。
細い体で負けないように
きっとずいぶん練習もしていたんだろうけど
そんなことはおくびにも出さない感じだった。
昔の人はそういう格好よさにも骨があった気がする。

江川さんと小林さんのトレードにしても
最初は金銭でトレードの予定だったと聞く。
それを知らないところで、小林さんのトレードということになってしまったのは
球団同士の駆け引きがあったのかもしれない。
それにしても、強引なやりかたで
2人の若者が背負いきれないものを背負わされたということになってしまった。

江川さんは小林さんのことを「一生背負っていく」と言っていた。
球団は心が痛まないのだろうか。
複雑な心境である。


小林さん、安らかに。

さよなら千代大海

きのうの取り組みをみて
ああ、もうこれで魁皇から引導を渡されたなあと思っていたら
やはり引退してしまったねえ。


ここのところ糖尿病が悪化していたので、
いつ引退してもおかしくなかったけど
お疲れ様と言いたい。

もうあなたの突っ張り相撲は見れないけど
年寄佐ノ山になって後進の指導にあたるそう。
九州を暴れまわっていたころのあなたからは
指導者というのは想像のできないことだけど
そうした経験を生かして
高みを目指せる弟子を指導していってください。

本当にお疲れ様でした。

箱根駅伝と金栗四三

箱根駅伝は、東洋大学の柏原選手の大活躍で終わったが、
この駅伝が日本マラソンの父金栗四三さんの提案ではじまったということを初めて知った。
金栗四三さんは、私の高校の大先輩で、
高校の校庭には、四三さんの銅像が建っている。
四三さんは亡くなるまでよく高校の体育祭にお見えだった。
走るのが好きだったんだろうねえ。
箱根駅伝も長距離の駅伝の練習として
大学生を高低差のあるコースを走らせる意図があったそう。
ひいてはアメリカ大陸横断という野望もあったらしい。
アメリカ大陸とはまた大きな野望だなあ。。。

四三さんは、ストックホルムのオリンピックで、途中棄権したのだが、
これが、途中棄権の連絡が大会本部に行っておらず、途中失踪ということになっていて
昭和42年になって、これを知ったスウェーデンのオリンピック委員会から招待され、
ゴールテープを切るというあじな処遇をうけ
マラソンの最長記録、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3という記録を持っている。

どこかの新聞に
箱根の5区がよければ、あとはどうでもよいのかと書いてあったけど
5区がよくても下りの6区で失速したり、転んだりするかもしれないし
数年前道路を横切る軌道に足を取られて怪我をして選手が
涙の棄権ということもあった。
早ければよいということではくて
コースにぴったりあった選手が
力を尽くす様が感動を呼ぶんじゃないかな。

私は金栗さんの後輩だけど、
走るのは全くだめです。見るだけー

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