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道成寺(2)

2つ目はその後道成寺に鐘が戻るところから始まる。安珍清姫のお話から400年ほどすぎたある日、過去の因縁話から鐘がなかった道成寺に鐘が奉納されることになった。その奉納の日、僧たちはその準備に掛かっていた。新しい鐘は寺男が見張っていた。「過去の因縁話もあるので、女人を近づけないように」と言い付かっていた。村中に新しい鐘の奉納式があることをふれて回ると、鐘のそばに白拍子がひとりやってきた。女人なので、寺男が訝っていると、「ワタシはこの鐘に縁のものなので、ぜひ舞を一節舞いたい」と申し出る。まあ、祝いだからいいか、と寺男が放っておくと、舞い始めた。しばらくして、舞が少しずつ狂いはじめます。感情や意識がが少しずつ乱れていくのを能は足で表現する。突然その鐘が落ち、白拍子はその中に入ってしまう。(能ではここで白拍子がジャンプすると鐘が落ちるという絶妙の仕掛けが見られます。まるで鐘のなかに白拍子が吸い込まれていくようです。鐘後見という裏方さんのみせどことです)
寺男が驚いて鐘を触ると驚くほど熱いので、僧にあわてて報告する。そうすると、これは言い伝えの大蛇の障りであろうとすぐに分かり、僧たちが経文を必死に唱えはじめる。しばらくお経が読まれると、鐘から蛇に変身した白拍子が現れる。なおも経文を唱える僧たち。苦しみながら、対抗しようとする蛇の化身。そのせめぎあいのなかに、とても悲しみが漂い、僧たちが蛇の化身を追い払ってしまう瞬間、化身は能舞台のそでに大きく弧を描くように消えていくのだ。
人が恋におち、その執着に狂うとき、それはもう焔のような執念と同時にそこはかとない哀しみがあるのだと思うのだった。
清姫は安珍に何を願ったのだろうか。その想いは叶えられなかったのだろうが、焼き尽くすほどの執念とは、本来愛ではないだろう。執着は愛に変わらないから。

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