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2003年4月

なにやら

またまたカルトが世間を騒がせていますね
かつて熊本に住んでいたとき、オウムの連中が私の勤める店にやってきて、大量の電池を購入していったことがあります。赤い服だとか、白い服(サマナ服とやらです)を着て店に15人くらいで入ってきたときの異様さは良く覚えています。熊本にはかなり広い敷地の教団施設があったので、かなり前から問題になっていたのですが、宗教団体ということで、なぜだか違法行為があっても警察とか動いてくれませんね。日本という国は宗教というのに、構えてしまうところがあって、法律というものを適応するのに、ためらうみたいなんですね。
私たち(とりあえず普通に生活しているもの)は、一旦停止が不十分だといって、交通違反切符をすぐ切られるのですが、あやつらは道路をああいう風に占拠しても、「はやく出て行ってください」といわれるだけなんですね。不思議です。あやつらが税金払っているようには思えませんが、私らは一生懸命働いて、なけなしのお金の中から、所得税(強制的にもってかれます)やら、住民税(こっちは滞納してますがね)払ってますよー。
信教は自由でしょう、はい。どんな宗教を信心しようが、あたしは知ったことじゃないけど、扱いは公平にしてもらいたいもんだわ。それが自由ってもんでしょ、本当に。

ちと忙しくなりそうで

作品のアップができません。
副業でやっているビデオの翻訳が、連休中に3本依頼されているので
時間がありません。忙しいです。(汗
まあ、Suzuki氏の肝いりで始まった幻視短歌のほうには少し作品を載せていますので、ご覧になってください。短歌は「遊離哉」というペンネームを使用しています。
http://www.lorikeet.info/tanka/
で見られます。これはPorphy氏が管理するサイトです。
今日は二子玉川で送別会のあと、新宿の行きつけの店の周年パーティにも呼ばれているので、帰宅するのは午前様です。(多分…
明日はビデオの翻訳に励まなくてはならないので、サイトのアプはできません。あしからず・・・

先日のサバト

レポートをアップしました。Documentにあります。
ひそかにアップしているので、好きな方だけどうぞ
ちょっと仕事がたてこんでいるので
今日はこれにて

きのう

電車にのって帰宅途中。
ちょっと気持ちの悪いおじさんと眼があいました。
瞬間「やベーなー」と思って目をそらしたのですが、
なんだかこちらににじり寄ってくる。
私隣の車両に移って、大丈夫!と思っていました。
それで某渋谷駅(どこが某なんだか… で定期が切れていたので、切符を買おうと並んでいました。
そしたら、いきなり後ろから肩をたたかれました。そりゃ東京にすんで何年かになりますから、知っている人もいるかもしれませんので、振り向いたらそのやばい親爺。おってきたらしい。。。「ちょっと付き合わない」とのたまうのではないですか。あー気持ち悪いんだよ。親爺そんな顔でよく声かけるなあ。もっといい男なら考えてもいいけど。
断って切符を買って山手線にのったのですが、なんだかまだついてくるようなので、新宿で降りて2丁目に逃げ込んだのでした。(あー疲れた
ここは聖域かな

Yukinagaサバト@新宿

詩人の会で知り合った5人で集まりました。
いやーあっという間にもう帰る時間となるくらい楽しかったです。
詳しいレポートはまた後日。

今日はさすがに疲れたので寝ます。

あしたは

詩人の会の仲間と新宿で会います
楽しみです
でもみんなおとなしい?みたいなんで
もりあがるかなあ
ちょっと心配な私

今日は会社の帰りにボクシングへ
1時間ほど鍛えてきました

祈りと 

まるでニューエイジのような科白だが
祈りとか、自分の内的世界が変化するとか、そういうことで本当に現実が変わるんだな、と思わせるような一日であった。

少し離れていた友達にあった。

気負わずに話すことができた。

彼女が一生懸命生きていてくれるだけで

おいらはなんだかとっても幸せな気分になった

いまほど生きていく彼女をいとおしいと思ったことはない

かつ、自分の所有物にしようという気持ちは

消滅した

何も期待しない
何ものぞまない

でも、彼女が生きていることに

感謝したい

死が伝えたもの 2

亡くなったしのぶさんのご冥福をお祈りします

またいろんなことを気づかせてくれて

ありがとう

ここに書いて伝わるかな

きっと伝わるよね

あれから不思議なことに

いろんな再会がありました

改めて お礼を言います

先日

またまた犬の社員が職場に来た
ずいぶん大きくなっていた

写真にポースとってくれたので
載せてみる
手とか大きいので
このワンちゃんでかくなりますよー

死が伝えたもの

私の友人の大切な友達が亡くなった。
私は直接お会いしたことがなかったのだが、話は時折聞いていて、そのうち逢う機会もあるだろうくらいに考えていた。でも逢う機会は訪れなかった。27歳だった。愛するご主人と、子どもを置いて、黄泉路に旅立っていった。しかも自分からだ。
亡くなって初めて分かることがある。その人がどんなにかけがえのないものであったかということだ。彼女は死を通して何を伝えたかったのだろうか。
長い間、彼女は鬱病と戦っていた。このことを書くと、鬱病で苦しんでいる人たちを刺激してしまうことを私は懼れる。だから、このことを書くことを少し躊躇した。間違ってメッセージを受け取られて過去にも鬱病の友達を傷つけてしまったことがあるから。私がそれを望んでいない。むしろ、その状況を理解しようとすればするほど、苦しめてしまう結果になったことは、今でも後悔している。
今回私がわかったのは、自分が他の鬱病の友達に対してやってきたことが、口では「頑張れ」とか言わないものの(励ましてはいけないと思っていた)結果的に背中を押して、その先は崖みたいなことをやっていたのだなと思った。抽象的だが。
彼女たちは十分すぎるほど、病気と戦っているのにそれで精一杯だと言っているのに、私の方を向いてほしいなどと、私はふざけたことを言っていたわけだ。前線で精一杯戦っている戦士に、それ以上戦えというのは、むごすぎることであった。ここにメッセージを書いても読んでもらえるかどうか、分からないが。直接メッセージを電話なりメールなりすることは、彼女たちを脅かすので、こうした形でメッセージを送る。

どうか、自ら死んだりしないで生きていてください。
あなたは私にとってほんとうにかけがえのない存在です。
あなたがいなくなってしまえば、私のいきている間にその存在を埋めるものはないのです。かけがえというものはそういうものです。
あなたが私のことを信じていてくれたことを
今は分かります
あの時は、分からなかったけど。

そして、今はあなたのことを信じます
無条件で

どうか、生きていてください
生きていてくれることを信じます
苦しくてつらいだろうけど
必ず治ると信じます

そして私も自分を信じて生きていきます
シンプルに


落日


落日とかいうと太宰風だね
斜陽とか。

きれいな夕暮れだったから撮影してみた。
清少納言が「春は曙」と言ったけど、
「春は夜」じゃないかな、と思ったりして。花の咲くのを夜見るがおかし。散ってしまった桜のあとに、葉桜も見ごろで(え

廃墟

ものすごい田舎から
5歳くらいのときに鄙びた、というか荒んだ温泉町に越した
そこは温泉町というイメージから程遠く、
露天とか、日帰り温泉とかいうのとは違って、
ストリップ小屋があり、おばさん芸者ややくざ者が闊歩するあの「温泉町」だ。
温泉ブームからはかけ離れ、隣の町は炭鉱の町だから
炭鉱が閉山して、長屋の炭鉱住宅は空き家となり炭鉱施設は錆び付いて、その無残な骨を曝している
わたしが大きくなる後とにどんどん旅館はつぶれていき、
今でもその残骸を曝しているだろう。もう何年も帰っていないけど、たぶんその瓦礫をみるだろう。

私はその廃墟で育った

花に嵐のたとえもあるぞ

「さよならだけが人生だ」なんて
嘯きながら、さっき友達と食事したあと桜散る道を歩いてきました。
桜は散り際がきれいだから、戦争中に
「賎こころなく、花の散るらむ」と言われてせっせと若いヒトが死にましたね。彼らはこの花をどうみたのかしら。
そして今の世界をみて、どう思うかしら。死んで物体となって、土に還ったからもう世界を認識することはないけど。聞いてみたい気がした。
私は椿のように、あっさりばっさり死にたいと思います。
花ならば、ね。

旅芸人

私は旅芸人のようなもの

今年で43歳になります

日本のあちこちに住み 

今は東京に住んでいます

それでコンピュータの会社に派遣で行き

たまに詩を書いたり

小説を書いたり

写真を撮ったりしています

残念ながらヘテロセクシャルではありません

本人的には別に残念でもないのですが

これは言葉のアヤかな

かといって声高にホモセクシャルを主張する気もありません

愛する対象の性別をこだわらないだけですから、

女性だ、男性だといってすきになるわけでないから

そのムーブメントに参加する気もありません。

むかしから団体行動はきらいです

好きなヒトが好きと言いたいだけです

ヒトはどこをみて、その人を好きになるのでしょう

謎です

振り回されるような恋ばかりして

結局は破れてばかり

でも

それでも生き方を変えるつもりは全くないのです

懲りない私

今日は横浜まで行きました

撮影にです
この場所は飲み友達から聞いて、夜中の12時ごろはじめていったのですが、このすさみ方が気に入って、ぜひ写真に撮りたいと思った場所なんですが、前回はカメラが壊れて写せず、その後は紹介してくれた子と、付き合わなくなったので、なかなか行きそびれていました。やっと行ったという感じです。

最初の記憶

私の育った地方は、すごい田舎です。
畑と、山、小川、散在する家々。これを牧歌的といえばそうかもしれない。私の記憶はここで始まる。県道沿いの道を自分の足を見ながら歩いていた。両親ともに働いていたので、子守のおばさんの家に行く途中の道すがら。足を見ながら歩くというのは、かなり下を向いて歩いていたということか。
交通量もたいした事はないので、きっと誰も心配していなかったのだろう。その道で怖いとおもった記憶がない。
そのころはまだ車を所有している人が少なかったし。
そのころの子守のおばさんの家は農家で、斜面にたっていた。部屋は暗くて、その奥に爺さんが日がな酒を飲んでいたような気がする。裏は畑につながっていて、柿木があったように記憶している。2階建てで、子どもは2階にいて、3人の子どもがいて、よくあそんでくれた。
でも自宅の記憶が全くない。私のうちは天井の木目と、裏に庭がネコの額ほどあった。隣が衣料品屋、向かいが農協の倉庫だったという記憶だけ。室内の記憶は全くない。そこで何年すごしたのか、今は逆算するしかありませんが、生まれてから3歳になる前くらいまでだったよう。
父親の記憶が始まるのは、その後新しいところに越してからだ。
父が酔って怪我をして、担ぎ込まれた病院の外の記憶から始まっている。赤いランプ。大きな声、怒声。みすぼらしい病院の外観。父の怪我は結構ひどくて、口の横を貫通した傷を縫わずにいたので、ずっとその傷を見ていた気がする。まだそれが痛いとか、想像のつかない年頃だったのでしょう。

コラボレーションの意味

詩のページに先週、「Quitters」という詩を載せた
これはバロンことy<kさんとのコラボレーションだ。
最初、バロンさんがご自分のページに途中まで(数行の3角形になっていた)のを藍露さんのホームページに投稿しておられたので、
これに刺激された私は「パスティーシュ」(清水義範風ですが)をやりたいと思い立ち、それに返詩するかたちで逆三角形の詩を作った。もともともっていた雰囲気に呼応する形で、なおかつ私のカラーを崩さずにと心がけたつもり。だいたい5分くらいでそのときはできたのですが、あとから、バロンさんが40行のものにしたいというオファーがあったので、なるべくバロンさんが持っているイメージ(画像を思い浮かべました)を膨らませて、なおかつエンディングは、呼応するもの、例えば動-静、陽-陰、昼-夜といった対応語を選びながら作った。あとは形と、バックの色などを掲示板とか、メールでやり取りしましたが、基本的に何をテーマにとか、話し合って書いたわけではないので、それぞれ個性が出た結果になったと思う

面白い体験でした。バロンさんありがとうございました。

今度は別のかたちのコラボもやってみたいですね。

会社の近くの砧公園が

桜きれいなようです。
会社のトイレから多摩川のほう(公園の奥)の桜がよく見えます。会社の人などもよく昼休みに公園まで散歩しに出かけてますね。
花は誰かに見てほしくて咲くのではないと、先日見た「能楽師」のなかに触れられていました。
一調、ニ機、三声といって、その花のさくように芸事も自分のエネルギーが整ったところで発せられるのだと、花伝書にはあるようです。
花のような有り様でいられるのかな。

(写真は中野の桜)

ブエノスアイレス

「会いたいと思えば、いつでもどこでも会える」
が正しい科白だったようです。訂正します。

レスリー・チャンがなくなりました


「ブエノスアイレス」のなかで、「好きでさえいれば、必ず会える」っていうセリフでおわるのですが、(残念ながらこれはれレスリーのセリフではないのですが)もう、会えませんね。
Юがもう2度とこの生をいきたくないと言ってましたが、おいらは少し違います。別にもういちどこの生を生きても、生きてなくてもよいということです。再生してもいいし、しなくてもいい。ただ、自ら命を絶つという選択はたぶんしない、と言うことです。ただ、そこまでコントロールしたいという気持ちもわかりますので、その選択の自由は自らが負うべきことですから、私はとやかくはいいません。
かといって、私は絶望したり、虚無になっているわけでもないのです。むしろ、常に変化し続ける自分を見て行きたいと思っているのですね。

雨の降る中のベンチ(写真)

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